人吉市麓町
国史跡
球磨川と胸川の合流地点に位置する人吉城跡は、総面積21万6千㎡もある広大な史跡です。人吉城の築城は1198年相良家初代・相良長頼が鎌倉幕府の源頼朝の命令で人吉に入った頃には、城には平頼盛の代官・矢瀬主馬佑がいたと言われています。長頼は矢瀬を滅ぼし城に入り、1199年より城の修繕・改築を始めます。その時に三日月文様の入った石が出土したことから、人吉城を三日月城や繊月城と呼ぶようになったと伝わります。ただし、人吉城の名前が、古文書で初めて確認されたのは1470年。それ以前の情報は正確には分かっていませんが、過去の発掘調査の結果では、1400~1500年代の出土品が確認されていることから、整備・拡張されたのは11代・相良長続の頃と推察されています。人吉城は中世の時代は自然地形を重視した山城で、1598年から工事が始まり石垣造りの近世城郭へ改修が行われています。
残念ながら、地震や洪水などの幾度もの天災が城を襲い、崩落・修復を繰り返したと記録に残っています。さらに、1871年の廃藩置県をキッカケに、1872〜1875年まで場内の建物や立木は払い下げられ、石垣のみを残す形に。そのため、角櫓・長塀・多門櫓・堀合門は、絵図・文献・写真などの資料、さらに発掘調査の成果をもとに忠実に復元したものです。
国史跡に選ばれた人吉城跡に残る石垣は、さすが広大な史跡というだけあり見所が多いのが特徴です。代表する「御下門跡」は、登城する際に最初に通る門で、秋には鮮やかな紅葉と石垣のコントラストが美しい絶景を魅せてくれます。さらに、上流から運ばれてくる物資の搬入に使われていた「水ノ手門跡」は、まさに「川の城」らしさを残しています。その周辺には「間米 蔵跡」「塩蔵」などの蔵があったことも江戸時代の絵図からわかります。石垣上端に「はね出し」と呼ばれる突出部をもつ「はね出しの石垣」も見どころです。
文化財の概要
住 所
〒868-0051 熊本県人吉市麓町
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人吉球磨で出会える
日本遺産
人吉球磨で実際に体感することのできる20の文化財をご紹介します。
建築様式や装飾など、独自に伝わる技術など、たくさんある見どころをお楽しみください。
人吉市麓町
国史跡
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明導寺七重石塔(城泉寺七重石塔)
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