球磨郡水上村

生善院観音堂 しょうぜんいんかんのんどう

国指定重要文化財(建造物)

 「生善院観音堂」は、普門寺の住職・盛誉法印と母・玖月善女、愛猫の玉垂を影像として祀るために、相良長毎(相良家20代当主・人吉藩初代藩主)が1625年に建てた寺院です。この寺院を建てるきっかけになったある事件から、「猫寺」と呼ばれています。

 その事件は1582年に起きました。盛誉法印は、兄・湯山城主の宗昌と一緒に、相良頼貞公(18代藩主・相良義陽の異母兄弟の弟)に会いに行きます。それを知った宗昌を嫌いな武士が、「3人が薩摩藩に協力して、人吉球磨に攻めてくる。止めるためには、今のうちに殺さないといけない」と嘘をつきます。そのことが原因で、3月16日、無実の罪を着せられた盛誉法印は、殺されてしまいます。

 その母・玖月善女は、息子を殺された恨みをはらすために愛猫・玉垂と一緒に「市房山神宮」にこもります。21日間の断食の後、猫と「茂間が淵」に身を投げて自殺するのです。それから間もなく、毎夜、猫の玉垂が19代藩主・忠房を苦しめ、盛誉法印を殺した武士は狂ったように死んでしまいます。次々と奇怪なことが起きた相良藩では、怨霊を鎮めるために普門寺跡に「生善院観音堂」を建て、母・玖月善女を千手観音像に見立てて影像として祀りました。 そして、地域の人々には、毎年3月16日に「市房山神宮」「生善院(猫寺)」にお参りするように命令し、しばらくしてたたりも納まります。

 この風習は1955年ごろまで、大変賑やかに行われ、今では、「猫寺春の大祭」へ受け継がれています。さらに、「市房山神宮」は縁結びの神様「おたけさん」として、「茂間が淵」の神社は子どもの守り神「ごしんさん」として、今でも厚く信仰されています。

 国重要文化財に指定されている「生善院観音堂」は、茅葺き屋根、建物の内外に漆が塗られ、内部は金箔や鮮やかな色合いで、豪華な造りが特徴です。保存状態が良く、仏具(厨子・須弥壇)も当時のものが残っています。狛犬の代わりに「こまねこ」が訪れる人を見守っているのも珍しく、「猫寺」の見所の一つです。

文化財の概要

住 所

〒868-0701 熊本県球磨郡水上村岩野3542

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